【連合神奈川組織内 推薦】二井くみよ 横浜市議(磯子区)からのメッセージ

今日から二井くみよの市政への想いと政策を発信していきます!

 

2021年9月に横浜市会議員(磯子区)補欠選挙にて初当選させて頂きました。

当選以降、平日は毎朝駅で通勤、通学途中の皆様に市政報告をお渡しさせて頂き、次第に顔見知りの方も増えてまいりました。この約一年半を振り返ると、とにかくがむしゃらに動き、本当にあっという間の時間だったと思います。

日々が目まぐるしく過ぎていきましたが、その中でたくさんのご相談やご要望を頂き、「即行動」をモットーに日々一つずつ取り組んでまいりました。

 

私は市議になる前は国会議員秘書を十年以上勤め、政治の現場での下積みと実務経験がある程度は長いと思いますが、その後は会社員を経て行政書士やボランティアでの就労支援員などの仕事もしてきた中で、そもそも私は横浜市会議員をどうして志したのか、その当初のことを最近はよく考えます。

 

議員秘書や行政書士などの業務はかなり地道な内容も多いので、時には苦しんだり葛藤を抱きながら働いてきました。失敗も挫折も何度もたぶん周囲よりかなり多く経験してきたし、自分にも自信が持てない、自己否定が続く辛い時期もありました。それは今もたいして変わっていませんが…

将来の見通しも立たず悩みも毎日だけど、じっと耐えて何とか頑張ってみる、その日々の繰り返しです。

 

今、長引くコロナ禍で将来に不安を抱く方が多かったり、先の見通しが立たないという方も多くいらっしゃるのではないかと思います。現在の私自身もそうです。

国全体を俯瞰してみても、日本は失われた30年といわれ、実質賃金が上がらずに閉塞感が漂っているように感じます。会社員の頃にはカンボジアに出張させて頂きましたが、成長のスピードが目覚ましく日本と比較して危機感を持ちました。

 

でも、色々ありつつも、とにかく未来は明るいと信じて努力を続ける。自分の可能性を信じて、自分の人生、これからも勿論、辛いことや悲しいことを経験すると思いますが、悔いのないように過ごしていきたいと思っています。今に集中して日々を大切に地道に積み重ねていくこと、これが一番の近道なのかなと、これからまた変わるかもしれないけど、今の私の考えはこのような感じです。

 

ですので、私はここ横浜市で、誰一人として取り残される優しい社会を実現し、何度失敗や挫折をしても挑戦したいと思ったら挑戦できるような社会を自らの順風満帆とはいかなかったこれまでの人生経験を踏まえて実現していきたいと思っています。

 

悩みがない方はきっと少ないでしょう。一人ひとりが違う立場で、それぞれに悩みや不安を抱えているのではないでしょうか。そして、そういう方が今の時代、増えているように感じる中で、それぞれの心にそっと寄り添いお互いを尊重し合えるような温かみや優しさが溢れる社会をつくっていきたいと考えています。市民に距離が最も近い地方議員、身近な横浜市会議員として、「誰にでもチャンスがあり挑戦できる、そして夢や目標を温かく応援できる社会をつくりたい」、それが私が市議を志した理由です。

 

そのために、私は横浜市議としてこの一年半、「横浜市民の皆様の安全安心を第一に、どうしたらもっと日々の生活が豊かで幸せなものになるのか。横浜市や磯子区のためにどうしたらもっと貢献できるのか。」このことを常に念頭に置いて動いてまいりました。

そしてこれからも、責任世代の議員として、次代を担う自覚を持って、これからの新しい横浜市政をより良くしていくために動き続けたいと思います。

まだまだ議員としての経験は一年半と短いですが、磯子区の皆様の声を日々議会に届け、精進してまいります。

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今日から二井くみよの市政への想いと政策を発信していきます!

 

2021年9月に横浜市会議員(磯子区)補欠選挙にて初当選させて頂きました。

当選以降、平日は毎朝駅で通勤、通学途中の皆様に市政報告をお渡しさせて頂き、次第に顔見知りの方も増えてまいりました。この約一年半を振り返ると、とにかくがむしゃらに動き、本当にあっという間の時間だったと思います。

日々が目まぐるしく過ぎていきましたが、その中でたくさんのご相談やご要望を頂き、「即行動」をモットーに日々一つずつ取り組んでまいりました。

 

私は市議になる前は国会議員秘書を十年以上勤め、政治の現場での下積みと実務経験がある程度は長いと思いますが、その後は会社員を経て行政書士やボランティアでの就労支援員などの仕事もしてきた中で、そもそも私は横浜市会議員をどうして志したのか、その当初のことを最近はよく考えます。

 

議員秘書や行政書士などの業務はかなり地道な内容も多いので、時には苦しんだり葛藤を抱きながら働いてきました。失敗も挫折も何度もたぶん周囲よりかなり多く経験してきたし、自分にも自信が持てない、自己否定が続く辛い時期もありました。それは今もたいして変わっていませんが…

将来の見通しも立たず悩みも毎日だけど、じっと耐えて何とか頑張ってみる、その日々の繰り返しです。

 

今、長引くコロナ禍で将来に不安を抱く方が多かったり、先の見通しが立たないという方も多くいらっしゃるのではないかと思います。現在の私自身もそうです。

国全体を俯瞰してみても、日本は失われた30年といわれ、実質賃金が上がらずに閉塞感が漂っているように感じます。会社員の頃にはカンボジアに出張させて頂きましたが、成長のスピードが目覚ましく日本と比較して危機感を持ちました。

 

でも、色々ありつつも、とにかく未来は明るいと信じて努力を続ける。自分の可能性を信じて、自分の人生、これからも勿論、辛いことや悲しいことを経験すると思いますが、悔いのないように過ごしていきたいと思っています。今に集中して日々を大切に地道に積み重ねていくこと、これが一番の近道なのかなと、これからまた変わるかもしれないけど、今の私の考えはこのような感じです。

 

ですので、私はここ横浜市で、誰一人として取り残される優しい社会を実現し、何度失敗や挫折をしても挑戦したいと思ったら挑戦できるような社会を自らの順風満帆とはいかなかったこれまでの人生経験を踏まえて実現していきたいと思っています。

 

悩みがない方はきっと少ないでしょう。一人ひとりが違う立場で、それぞれに悩みや不安を抱えているのではないでしょうか。そして、そういう方が今の時代、増えているように感じる中で、それぞれの心にそっと寄り添いお互いを尊重し合えるような温かみや優しさが溢れる社会をつくっていきたいと考えています。市民に距離が最も近い地方議員、身近な横浜市会議員として、「誰にでもチャンスがあり挑戦できる、そして夢や目標を温かく応援できる社会をつくりたい」、それが私が市議を志した理由です。

 

そのために、私は横浜市議としてこの一年半、「横浜市民の皆様の安全安心を第一に、どうしたらもっと日々の生活が豊かで幸せなものになるのか。横浜市や磯子区のためにどうしたらもっと貢献できるのか。」このことを常に念頭に置いて動いてまいりました。

そしてこれからも、責任世代の議員として、次代を担う自覚を持って、これからの新しい横浜市政をより良くしていくために動き続けたいと思います。

まだまだ議員としての経験は一年半と短いですが、磯子区の皆様の声を日々議会に届け、精進してまいります。

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